2013年5月 草刈り機の長い夏


アカミラプロジェクトは着々と動き始めていた。
5月の第2週の日曜日。世間では「母の日」といわれる日。
朝8時にアカミラプロジェクトの農場を訪れた。
アカミラプロジェクトの畑はおもに3カ所。
いずれも高取町だが、事務所のある下土佐のすぐ近くと、上子島の古民家の近辺と、上子島から車で10分ほどのところにある羽内(ほうち)の畑である。
下土佐の畑は旧街道のすぐ裏手にあり、町の裏という感じ、上子島は傾斜地のだんだん畑、羽内が土地としてはいちばん広く、ゆるやかな斜面に川沿いに沿って広がる畑である。


下土佐の裏手の畑は人家から近いこともありこじんまりとしているが、景観の良い、人間らしい畑である。これくらいの畑ならやってみたいなと思うようなほどよいサイズ。無農薬で農業をする農家さんが、「楽しく作業できるのは1反までですね」と言っていたが、実際にそんな感じだ。場所的に、街道の町から一本裏に入ると田んぼと畑があり、小川が流れ、裏手には果樹の植わった小山が広がる。そこにはうらさびた農作業小屋もあって、アカミラプロジェクトの目標とする農的暮らしを体現しているように見える。


下土佐の畑に植えられているのは、大麦の一種のハダカムギ。緑の穂がたわわに実り、ヒゲが長い。ここに植えられている麦は二種で、もう一種が上子島の方に植えられているという。麦のほかには、キクイモ、ジャンボニンニク、エンドウなど。
アカミラプロジェクトでは、自然栽培の手法を取り入れた、できる限り手をかけない農法で作物を育てている。できるかぎり土と環境と植物の力を活かし、めぐみをいただく。ただ、原則的に外から持ち込んだ肥料を与えない自然農と違って、土質にあわせて土壌にミネラルなど与えている。土壌分析の専門家を招いて、土地に足りない養分は補っている。単に無農薬というだけでなく、よりうまい野菜を作るためでもある。


刈り草や落ち葉などを加える以外、積極的に施肥をしない自然農の畑では、土が肥えるまで時間がかかり、作物が小ぶりなことが多いが、アカミラプロジェクトの畑では、作物も格段に大きく、立派だ。作物の足下に生えている雑草も、イネ科のような痩せた土に生える草ではなく、マメ科やナズナのような、柔らかい草が生えている。土もほくほくとしてやわらかい。生っていたエンドウを試食させてもらったが、実が大きく、みずみずしくて甘い。農薬も肥料も水もたっぷりかかった野菜が肥えてはいるがひ弱な箱入り娘だとすると、養分の少ない自然農の野菜は、強壮だがガリガリに痩せた修行僧のような感じ、アカミラプロジェクトの野菜は、バランスよく体を鍛えたスポーツ選手のようだ。


朝8時の畑はちょうど、7月から高取に移住してくることが決まっている新しいスタッフが野良仕事の練習をしている真最中だった。新しいスタッフは菊地芳典さん。通称よっしー。宮城から上子島の古民家に引っ越してくることが決まっていて、アカミラプロジェクトを手伝ってくれる。家の管理や農作業を手伝ったり、プロジェクトのいまをwebで発信してくれるはずだ。
そのよっしーはただいま畑で農家の必需品、草刈り機のレクチャーの真最中。農業といったら種まきや収穫よりも草刈りをしている時間の方が長いというくらい切っても切れない関係にある。小規模農家で使うのは手持の草刈り機。ガソリンを入れてエンジンを回し、回転する歯で草を刈る。両手でハンドルを握り、左右に振ってチュインチュインと草を刈って行く姿は、田舎でよく見る光景だ。大型機の入れない狭い場所では、人力で草を刈るしかない。操作は難しいものではないがやはり慣れるまでは危ない。刈った草が飛んで来ることもあるので、はじめはゴーグルをつけておいた方が安心だ。よっしーも一生懸命やっているが作業はまだまだ慣れない。


「こんなに草が長く残ってたらだめだよよっしー。もっと短く刈らないと」
と指導が入る。「草刈り」ではなく「草削り」というのだそうだ。地面を削っていくくらい短く草を刈らないと、あっという間にもとに戻って、刈る意味がないのだそうだ。enaファームのお2人は慣れた手つきで次々と刈っていく。新人のよっしーもいまはまだ慣れないが、すぐに慣れることだろう。これからずっと嫌というほど刈ることになるのだから。つまり、農薬を使わない農業をするということは、絶え間ない草との闘いに入るという意味でもある。


下土佐での作業が終わると次は羽内(ほうち)の畑へ。
「いちばん最近借りたんですよ」
とenaファームの青木さんの言う畑は立派な二車線の車道沿いに広がっているが、道に車はほとんど通らない。聞くと、羽内の集落にしかつながっていないのだという。山の上に公園を作る計画が持ち上がり、きれいな車道が整備されたが、公園はその後停滞。そして道だけが残った、というわけらしい。

畑の向こう側には小川が流れ、まわりが宅地の下土佐と違って、山からのきれいな水が流れてくる。水辺に降りるとひんやりと涼しく、気持ちがいい。川辺には竹林もあり、そこも好きに使っていいと言われている。野良仕事に便利そうな東屋も建っている。山の土地ではあるが、日当たりもよい。耕地としては、ここがいちばん条件が良いように見える。
ただ、羽内もご多分に漏れず、高齢化の進んだ限界集落。この畑もしばらく耕作が放棄された休耕畑で、生い茂った草を刈り、開墾をするところからはじめなくてはならない。
 「ここを全部刈るんだよ」
と青木さんがよっしーに説明をする畑には背よりも高いササがぼうぼうと生い茂っていた。


羽内(ほうち)は古代史にも名前の見える歴史の古い土地である。
『日本書紀』巻第22、推古天皇の条にこうある。
「夏五月五日、薬猟之。集于羽田、以相連参趣於朝。其装束如菟田之猟。(読み下し:推古二十年の夏五月の五日に、薬猟(くすりがり)す。羽田(はた)に集ひて、相連りて朝に参趣く。其の装束、菟田の猟の如し。口語訳:612年の夏5月5日に、薬猟が催された。羽田に集合し、連れ立って朝廷に参向した。その装束は菟田の猟の時と同じであった。)」
ここに出てくる「羽田」がいまの羽内であるとされる。羽田という地名はないが、大和国武市郡波田郷の地名が残ること、波田神社、波田みかい神社の存在からそうとされる。ちなみに、古代にいう「薬猟(くすりがり)」とは、雄鹿の若角を猟る儀式である。雄鹿の角は鹿茸(ろくじょう)といって、滋養強壮に珍重された。薬猟は古代朝廷の重要な儀式であり、その朝参がここ羽内で催されたのだろう。


最後に羽内から車で上子島へ。上子島の畑は古民家の周辺。家の裏手と、家から少し下ったところにある。土地はあまり広くなく、小さな段々畑であるが、ここは福島のママさんたちが野菜を植えたり、キッチンガーデン(家庭菜園)として貸し出したり、外部の人たちに開かれた畑として活用する予定だ。

まだ5月だというのに、外はすっかり夏の陽気。6月7月8月9月は放っておくとあっという間に畑がジャングルになる季節だ。刈っても刈ってもあっという間に草の伸びる「死のロード」がはじまる。大変だがやるしかない。長い夏のはじまりだ。