2013年8月 天川、洞川、サマーキャンプ:レインボーウサギハウスその2



いわき市からママさんたち2組がサマーキャンプに上子島に到着した、と聞いて訪れた8月某日。 前回の4月に引き続き、上子島レインボーウサギハウス2回目の開催だ。 今回、いわき死からやってきたママさんたち2組は、4月の来たファミリーとは別家族。 八木さんとかれんちゃん、滋賀さんとえいたくんとあやのちゃん。 それから、今回のサマーキャンプを企画したレインボーウサギハウスのトロさんと、美大生でただいま古民家にアーティストインレジデンスで滞在中の青木美穂ちゃん、いわき市から旅行中で一時サマーキャンプに合流した今井瞳ちゃん。 遊び回る子供ばかりか、大勢の大人の姿で、ふだん静まりかえった古民家が、今日は一気に賑やかになっていた。 「これから天川にキャンプに行くんですけどいっしょに行きませんか」と誘われたのが古民家についてから。 その予定はなかったものの急ぐ予定もなかったので、今日中に帰れるならと、あれよあれよと同行することに。



「天川」と聞いて向かった先は高取から一時間ほどの洞川温泉郷だった。洞川という場所は知っていたが、洞川が天川村とは知らなかった。洞川は大峯山修験道地の登山口に当たる。洞川からつながる山上ヶ岳一帯は女人禁制の行地。行者さんたちは洞川で着物を整え、行を積み、山から降りて温泉で汗を流したのである。(ちなみにこの旅館街は女人禁制地の入り口につきものの遊郭の役割も果たしたそうである。)また洞川は名水の土地としても知られ、「ごろごろ水」という有名な湧水もそばにあり、まさに正真正銘の「パワースポット」なのだ。

洞川の綺麗な渓流のそばにはたくさんのキャンプ場があり、今日の宿はそんなキャンプサイトのひとつに宿泊を決定。お盆前の金曜日ということもあって、土日は予約で満杯だそうだが、今日はテントの数も少なく、広々とキャンプサイトを使わせてもらえた。歩いて5分とかからないところに川があり、サイトの周囲は松林、見える景色は一面が山ばかり、という別天地のような場所だった。

大所帯を率いるのは、レインボーウサギハウスのトロさん。トロさんの持ってきた大きなドームテントを2つ建て、今夜の宿を作ると、子供たちは水着に着替えてさっそく川遊びへ。キャンプ場近くの川原は浅瀬で、流れも少なく、深いところで膝くらい。川の水は透明で美しく、夏でもピリッとするほど冷たい。八木ファミリーのかれんちゃんは最初「川原に蛇がいた!」と言って逃げ帰ってしまったけれど、滋賀家のえいたくんとあやのちゃんはどんどん水に入って、なかでもあやのちゃんはお兄ちゃんのえいたくんより、ママの手を引きながらザブザブ水に入ってたくましい。えいたくんは古民家から持ってきた網で小魚を捕まえようとするがなかなか難しい。少しするとかれんちゃんもトロさんといっしょに戻ってきて、川遊びを再開する。









高取の地上では熱気でアスファルトが歪みそうなほどの暑気が、ここでは水に入っていると寒くなるほど涼しい。ほんの数時間前、あまりの暑さにウンザリしながら坂道を歩いていたのがまったく嘘のようだった。ほかの場所より空気が澄んで感じるのは、ここが水の聖地だからだろうか。

川原では持ってきたスイカを冷やしていて、子供たちがお約束のスイカ割り。スイカは中がスポンジ状に弱っていてスポスポの味だったけど、自然の中では何を食べても美味い。



川遊びを引き上げると、今度は晩飯のバーベキューの用意に取りかかる。炭火に火をおこしてファイヤー。野菜を切ったり、キノコを切ったり、海鮮に下味をつけたり、大人が仕事をしているあいだも、子供たちは遊ぶのに余念がない。だが福島ではこうやって外で遊ぶのも当たり前ではないのだ、とふと思う。キャンプサイトの松林にはトロさんが設置したステキなハンモックも用意されていた。松林の夕日越しにハンモックがきらきら光る。子供たちはハンモックから落とし落とされ大泣きもしていたけれど、最後は丸く収まって揺れていた。 そしてお待ちかねのバーベキュータイム。子供たちは見事な食べっぷりで「これだけ食べられればどこでも生きて行けるな」と大人は違う感慨を抱く。



と、そんなのどかなサマーキャンプの一方で、アカミラプロジェクトの本体そのものは、深刻な停滞期を迎えていた。ひとことで言えば人手不足。「想定外」という言い方はよくないのかもしれないが、スタッフのめどがついたところで走り出したはずだったが、当初計画していたとおりに人材がまわらなかったのである。 アカミラプロジェクトを手伝ってくれることになっていたスタッフは3人。 同じ高取町内に住んで、生産や出荷を共同で行ってくれることになっていた峯村さん。 宮城から上子島の古民家に移住して、家の管理や農作業やレインボーウサギハウスの運営を手伝ってくれることになっていた菊地芳典さんこと通称よっしー。 古民家の回収作業や、開墾作業、農作業でマンパワーとして働いてくれていた一郎さん。 この3人が3人とも、アカミラプロジェクトから脱落してしまったのである。 結局、プロジェクト要員として動けるのはenaファームの青木さんと井原さんの2人だけという、ふりだしに戻ってしまった。しかし、enaファームの2人も、生計を立てるための仕事があって、プロジェクトに専念できるわけではない。人員も集まり、うまく回り出したかに思えたプロジェクトが、一気に停滞に陥ってしまった。 3人がプロジェクトから抜けた理由はそれぞれまったく違った。 生産スタッフの峯村さんは、コミュニケーション不足というのか、同じ町内に住んでいるのだが音信不通(!)に。互いに不満に思う部分があり、峯村さんからのレスポンスが積極的でなかったため、「今度は峯村さんから連絡を下さい」と告げたところ、そのまま連絡が途絶えた状態になってしまった。同じ高取の町に住んでいて顔は見かけるらしいのだがいまも連絡は取れていない。 宮城から上子島に移住し、車も持ってきて、新規就農の手続きも完了、さあこれからという状況だったよっしーは、上子島で生活をはじめて一週間(!)で撤収を決断。役場の人に「宮城に帰ります」と話をつけ、1ヶ月と経たないうちに古民家から引き上げてしまった。「聞いていた仕事と違った、思い描いていた仕事と違った」というよっしーの言い分もあるだろうし、運営型で受け入れの体制が出来ていない状況も多分にあった。どちらか一方が悪いという問題ではない。しかし「スローライフこそ忙しい」という現実は知っておくべきなのかもしれない。 そして、一郎さんはなんと結核(!)にかかってしまい、入院した上当分は要安静。働いていた西吉野の農家さんの仕事どころか、日常生活も辛い状態になってしまった。当然プロジェクトの手伝いは到底難しい。 双方の行き違いやコミュニケーション不足、スタッフ側の問題もあっただろうし、当然運営側にも共同で仕事をする上で多々問題があっただろう。それに不運が重なった。結局、何事であれ物事は「人」にはじまり「人」に終わるのだとあらためて感じさせられる。



と、あまり芳しくないプロジェクト本体に比べ、洞川のキャンプはひたすら心地よいものだった。 キャンプサイトは快適だったし、キャンプ用のグッズも最高(テント、ハンモック、バーベキュー、キャンドル、etc.)、川は綺麗で空気は澄み、地上の熱気が嘘のように風は涼しく、子供たちが元気で楽しそうなのは何よりだったし、夜は満天の星がぼくらの頭上でまたたいた。10時過ぎにはenaファームのお二人がぼくを迎えに来てくれて、無事帰宅することも出来たし、夏の日の完璧なバケーションを過ごした一日だった。 あとはアカミラプロジェクトが再びうまく回り始めるのを祈るばかりだ。